練習の意義
2016年6月12日 Magic: The Gatheringもちろん、やっていることは遊びだから、何に関しても文句は言えないのだろうけれど。
今僕が一番MTGでやりたいことは「他人の観点の吸収」。
アグロ脳な僕にとって、コントロールのうまい人、ミッドレンジの得意な人から「この場はこういう風にとらえている」という、対戦相手の観点から、あるいは直上の観点からみたプレイングをしたい、と思っている。
相手が読めないのか、と言われるとそうではない。あからさまにカウンター握っていたり、除去を構えていたりすればキャストアンドキャストから「さあ除去してください」と気勢を張って見せたり、こちらからも立てて構えて、相手のいやな動きをブラフしたりする。
ただ、ここで何マナ立っていたらアレを警戒するとか、墓地に除去が何枚あると、もう相手にないんだろうなという予測が立つとか、そういう情報を吸収したい。
意識高い系と笑わば笑え。デッキリストを研究すれば済むというな。これに限っては生でやり取りをすることが一番だとおもう。
生の対戦(リアルでもMOでも)から一人で得られるものはかなり多い。が、それを対戦相手や観客との感想戦へつないだら、さらに得られるものは多い。
一番いいのは「だらだらしない身内」。なあなあ、手なりのプレイをプレイングや即座の指摘で咎めてくれることは非常に重要。
犬はすぐに怒らないと「なぜ怒られたか」を認識しない、と読んだことがある。人間でもそれは同じで、あとでミステイクを指摘すると、盤面をぼんやりとしか覚えていなかったり、そのプレイ時、手札に何があって、どれをドローしたかったか、をはっきりと思い出せないことがある。
引けなかったから負けた、と言い訳することは簡単にできる。逆に、なぜ引かなかったか(要はマリガン基準)、と考えることもできる。そのプレイは適正であったか、立てて返される予想は何ができたか、相手は何を読ませたかったのか、というプレイを考えることもできる。それは自分のプレイを考えるだけではない。相手にとってここでどう立たれていることが何を構えているのか、という考えをよぎらせるだけでもきちんとしたブラフになる(例えばカンパニーなんてないのに4マナ立てて返したり)。
それを覚えるだけで、僕は負けすぎを脱するかもしれない、とぼんやり考える日曜日なのだった。
今僕が一番MTGでやりたいことは「他人の観点の吸収」。
アグロ脳な僕にとって、コントロールのうまい人、ミッドレンジの得意な人から「この場はこういう風にとらえている」という、対戦相手の観点から、あるいは直上の観点からみたプレイングをしたい、と思っている。
相手が読めないのか、と言われるとそうではない。あからさまにカウンター握っていたり、除去を構えていたりすればキャストアンドキャストから「さあ除去してください」と気勢を張って見せたり、こちらからも立てて構えて、相手のいやな動きをブラフしたりする。
ただ、ここで何マナ立っていたらアレを警戒するとか、墓地に除去が何枚あると、もう相手にないんだろうなという予測が立つとか、そういう情報を吸収したい。
意識高い系と笑わば笑え。デッキリストを研究すれば済むというな。これに限っては生でやり取りをすることが一番だとおもう。
生の対戦(リアルでもMOでも)から一人で得られるものはかなり多い。が、それを対戦相手や観客との感想戦へつないだら、さらに得られるものは多い。
一番いいのは「だらだらしない身内」。なあなあ、手なりのプレイをプレイングや即座の指摘で咎めてくれることは非常に重要。
犬はすぐに怒らないと「なぜ怒られたか」を認識しない、と読んだことがある。人間でもそれは同じで、あとでミステイクを指摘すると、盤面をぼんやりとしか覚えていなかったり、そのプレイ時、手札に何があって、どれをドローしたかったか、をはっきりと思い出せないことがある。
引けなかったから負けた、と言い訳することは簡単にできる。逆に、なぜ引かなかったか(要はマリガン基準)、と考えることもできる。そのプレイは適正であったか、立てて返される予想は何ができたか、相手は何を読ませたかったのか、というプレイを考えることもできる。それは自分のプレイを考えるだけではない。相手にとってここでどう立たれていることが何を構えているのか、という考えをよぎらせるだけでもきちんとしたブラフになる(例えばカンパニーなんてないのに4マナ立てて返したり)。
それを覚えるだけで、僕は負けすぎを脱するかもしれない、とぼんやり考える日曜日なのだった。
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